2009年06月18日

エチゾラムは旧・吉冨製薬が開発し

エチゾラムは旧・吉冨製薬(現・田辺三菱製薬)が開発し、商品名デパスとして1983年9月に承認され、1984年3月に発売された。多くのジェネリック医薬品が存在し、今日では海外でもDepas、Sedekopan等の商品名で販売されている(アメリカ合衆国、カナダでは未認可である)。

承認年月日 1983年9月21日
薬価基準収載日 1984年3月17日

適用 [編集]
不安・緊張・睡眠障害(神経症、心身症、うつ病、統合失調症、頸椎症,腰痛症,筋収縮性頭痛等)
パニック障害
神経症における軽度のうつ・神経衰弱症状、心身症における軽度のうつ
頸椎症,腰痛症,筋収縮性頭痛における筋緊張
胃潰瘍(他の治療薬と併用して使われることが多い)

用量 [編集]
神経症、うつ病
成人に1日3mgを3回に分けて、経口投与する。
心身症、頚椎症、腰痛症、筋収縮性頭痛
成人に1日1.5mgを3回に分けて、経口投与する。
睡眠障害
成人に1日1 - 3mgを就寝前に1回、経口投与する。
いずれの場合にも、年齢、症状により適宜増減する。体内に残存しやすい高齢者は1日1.5mgまでとする。

同効薬
クロチアゼパム、ジアゼパム、クロルジアゼポキシド、クロキサゾラム、ニトラゼパム、エスタゾラム等
これら薬剤とは併用すべきではない。

併用注意
中枢神経抑制剤 - 両薬剤が相加的に作用を発現する。
MAO阻害剤 - 同剤は肝臓でのエチゾラム代謝を競争的に阻害するため、作用強度が増大したり持続時間の延長がみられることがある。
フルボキサミン - 同剤は肝臓でのエチゾラム代謝を競争的に阻害するため、作用強度が増大したり持続時間の延長がみられることがある。
これらの薬剤と併用する場合は、投与量を適宜減量する必要がある。

物性 [編集]
融点 146 - 149℃
pH 4.0以下の水溶液中(例えば胃酸中)では徐々に開環体へと変化し、効力を減弱する。したがって、フィルムコート錠として腸溶錠とする場合が多いので、そのような場合は錠剤を割って呑むようなことは避けるべきである。
光分解性を有することが知られている。

一般的注意 [編集]
眠気,注意力・集中力・反射運動能力等の低下が起こることがあるので、自動車や機器の操作運転は従事しない。自分の判断で勝手に服用を中止したりしない。アルコールとの併用は神経抑制作用とアルコールの酩酊作用を増強するため危険。
ボディビルディング
芸術
原子力工学
グラフィックデザイン
楽譜
インダストリアルデザイン
太陽系
マラソン
風水
北海道
肥満
インディアカ
核医学
ゴルフ
性行為感染症
ポリマー
デング熱
電子工学
色素性乾皮症
農業工学

使用禁忌 [編集]
急性狭隅角緑内障の患者
重症筋無力症の患者

慎重投与 [編集]
心障害,肝障害,腎障害のある患者
脳に器質的障害のある患者(作用が強く現れる)
小児および高齢者
中等あるいは重篤な呼吸障害を持つ患者

副作用 [編集]
精神神経系副作用
ときに眠気,ふらつき, めまい,歩行失調,頭痛・頭重,言語障害,また,まれに不眠,感,興奮,焦燥,振戦,眼症状(霧視,調節障害)が現れることがある。
統合失調症等の患者で逆に刺激興奮,錯乱等が現れることがある
依存性
大量連用により、まれに薬物依存を生じることがある。
また,大量投与または連用中における投与量の急激な減少ないし中止により,まれにけいれん発作,ときにせん妄, 振戦,不眠,不安,幻覚,妄想等の禁断症状が現れることがある。
肝機能障害
黄疸あるいは血清中の酵素指標の上昇など肝機能障害を示すことがある。
また、以下の少数の副作用が報告されている。

呼吸抑制,炭酸ガスナルコーシス
呼吸抑制が現れることがある。中等あるいは重篤な呼吸障害を持つ患者では炭酸ガスナルコーシスが現れることがある。
悪性症候群
発熱,強度の筋強剛,嚥下困難,頻脈,血圧の変動,発汗,白血球の増加,血清CK(CPK)の上昇等、悪性症候群の症状があらわれることがある。
横紋筋融解症
筋肉痛,脱力感,CK(CPK)値上昇,血中および尿中ミオグロビン上昇など横紋筋融解症が現れることがある。
間質性肺炎
発熱,咳嗽,呼吸困難,肺音の異常(捻髪音)等、間質性肺炎の症状があらわれることがある。この薬剤に対するアレルギー反応が原因と考えられている。

2009年05月31日

機会費用の観点

どちらの国も労働力をフル活用している状態(生産可能性辺境線)にある場合、ワインを多く作るためには毛織物の生産を減らさなくてはならない。その場合、ワイン1単位を作るために、小国では毛織物を2単位減らさなければならず、大国は毛織物を3単位減らさなければならない(ワイン生産においては小国は比較優位であり、大国は比較劣位である)。

逆に毛織物生産を見た場合、小国ではワインを1減らしても毛織物が2しか増えないのに対して、大国はワインを1減らすことで毛織物を3増やすことが出来る。(毛織物生産においては小国は比較劣位であり、大国は比較優位である)。

これは比較優位に立つ側は、相手側よりも少ない機会費用で生産できることを示している。


比較優位の応用 [編集]
比較優位の考え方は、国際分業に留まらず、国内間や労働者間などの分業一般に応用できる。

例えば、有能な政治家と、その秘書がいる。政治家は政治活動も秘書業務もどちらも秘書より早くできる。しかし、政治家は政治活動に専念すべきである。政治家が秘書業務を秘書に任せることによって、全体としての効率の改善が図られるからである。


特化のプロセス [編集]
現在の世界の国々は、地球規模の貿易ネットワークに大なり小なりつながっている。そしてそれぞれの国に輸出品と輸入品がある。輸出している商品は国内需要よりも多く生産しているということだから特化が進んでいることになる。

特化が自然に進むプロセスはいくつかある。
離婚 審美歯科 リサイクル セミナー ゲーム パソコン 地域情報 エステ 海外 しわ取り 求人募集 暮らし 人探し 探偵 リフレ 植物 老人 インテリア 海外留学 キャンプ場 学習 産業 ダイエット 信越北陸 育毛 行政書士 警備 ビジネス レストラン 精神医学 ファッション インポ 老人 古着 外国語 おもちゃ 通信教育 動物園 サプリ 養毛 しわ取り 法人設立 介護 老人 ローン 精神医学 アウトドア 英会話 バイク 楽器教室


固定相場制下での特化 [編集]
固定相場制(または共通通貨制)をとる小国を考える。小国には複数の産業があり、それぞれが大国へ輸出を試みたとする。まず、より高値で販売できる順に序列ができる。

輸出で利益を得た産業は生産を拡大し、より多くの利益を得ようとする。この際に、最も高い利益を得た産業が、より多くの資源(設備や労働力)の購買力を持つ。そうして高い利益を得る産業が資源を需要するため、各資源の価格は次第に上昇する。資源価格の上昇により、輸出競争力の低い産業は収益が悪化し、解散するなどして資源を解放することになる。

この結果、輸出競争力のある産業(比較優位な産業)へ資源が集中し特化が進む。


変動相場制下での特化 [編集]
変動相場制をとる小国を考える。小国には複数の産業があり、それぞれが大国へ輸出を試みたとする。まず、より高値で販売できる順に序列ができる。

輸出で得た外貨は、小国の通貨へ為替されることになる。このとき、より高い利益を得た産業がより多くの自国通貨を得ることになる。こうして、輸出競争力が高い産業はより高い利益を得る。輸出で利益を得た産業は生産を拡大し、より多くの利益を得ようとする。この際に、輸出拡張で自国通貨高が進む。輸出競争力の低い産業は自国通貨高により、輸出縮小により収益が悪化し、解散するなどして資源を解放することになる。

この結果、輸出競争力のある産業(比較優位な産業)へ資源が集中し特化が進む。

2009年04月28日

スパスカヤ(救世主)塔

スパスカヤ塔(スパースカヤ塔、救世主塔)の名称は、近くにあったスパースキイ修道院に由来する。1560年代にあった4つのピースを持つ聖ニコライ教会と、1950年代にあった6つの張り出しを持つ救世主変容聖堂は、修道院の一部だった。これらの寺院建築は、ロシア革命後、スターリン時代に撤去された。 カザン・クレムリンは城壁と塔によって囲まれている。これらは16世紀から17世紀にかけて建造され、その後、修復がおこなわれている。城壁と塔は、雪のように白く美しい。 城塞内部には、クル=シャーリフ・モスク(後述)が再建されて、白い城壁と一体化した美しい景観を形成している。イスラム建築とロシア正教会の教会建築が見事に融合し、調和の取れた景観を形作っている。

クル=シャーリフ・モスク
カザン・クレムリンには元来、イスラム教を信仰していたカザン・ハン国によってクル=シャーリフ・モスクが建てられていたが、イワン雷帝のカザン侵攻によって破壊された。そのモスクがヨーロッパ最大級のイスラム教建築として再建されたのが、2005年6月24日のことである。再建に当たっては、17世紀に
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モスクのあった敷地(士官学校の敷地になっていた)が選定された。

この4つのミナレットを備えたモスクが完成したことに対する祝賀会には、約40ヵ国から1万7000人もの人々が参集した。

この他、カザン・クレムリン内の重要な建築としては、コンスタンチン・トーン(トン Konstantin Thon)設計によるタタールスタン共和国大統領宮殿(大統領官邸、もとのカザン県知事宮殿)がある。大統領宮殿が建つ場所はかつてのカザン・ハーンの宮廷があったと推定される。大統領宮殿とスュユンビケ塔に挟まれる場所に宮殿教会がある。中世期にはモスクがあった。

カザン・クレムリンの北側の城壁には、もう一つ門が備えられた塔がある。この塔は、秘密の上水道を備えていたことからタイニツカヤ(秘密)塔の名が付けられている。タイニツカヤ塔も城門があり、クレムリンへ入ることができるが、車両の出入りは緊急時のみに制限されている。

2009年04月13日

ウガヤフキアエズ

ウガヤフキアエズは、日本神話の神。古事記では天津日高日子波限建鵜草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、日本書紀では彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と表記する。
神話の記述 [編集]
ホオリ(山幸彦)と、海神の娘であるトヨタマビメ(豊玉毘売)の子。ニニギ・ホオリ・ウガヤフキアエズの三代は日向三代(ひむかさんだいまたはひゅうがさんだい)と呼ばれる。

トヨタマビメは海宮で懐妊したが、天神の子を海の中で生むわけにはいかないとして、陸に上がってきた。浜辺に産屋を作ろうとしたが、茅草がわりの鵜の羽を葺き終らないうちにトヨタマビメが産気づいたため、「ウガヤフキアエズ(鵜茅葺き合えず)」と名付けられることになった。トヨタマビメは、「他国の者は子を産む時には本来の姿になる。私も本来の姿で産もうと思うので、絶対に産屋の中を見ないように」とホオリに言う。しかし、ホオリは産屋の中を覗いてしまい、そこにトヨタマビメが姿を変えた八尋和邇が這い回っているのを見て逃げ出した。トヨタマビメはホオリに覗かれたことを恥ずかしく思って、産まれた子を置いて海に帰ってしまい、代わりに妹のタマヨリビメ(玉依毘売)を遣わした。トヨタマビメは、ホオリが覗いたことを恨みはしたが、やはり恋しくて、タマヨリビメを通してホオリと歌を詠み交わした。

ウガヤフキアエズは、育ての親であるタマヨリビメと結婚し、タマヨリビメとの間にイツセ(五瀬命)・イナヒ(稲氷命)・ミケヌ(御毛沼命)・ワカミケヌ(若御毛沼命)の四子をもうけた。ミケヌは常世へ渡り、イナヒは母のいる海原へ行った。末子のワカミケヌが、後にカムヤマトイハレビコ、神武天皇となる。

解説 [編集]
異類の者と結婚し、何かをするのを見るなとタブーを課し、そのタブーを破られて本来の姿を見られて分かれるという話は世界各地に見られる。日本神話でも同様の説話が何度か登場し(神産みの黄泉訪問説話など)、民話でも鶴の恩返しなどがある。また、そういう説話では、異類の者との間に生まれた子の子孫が王朝・氏族の始祖とされていることが多い。

天皇につながる神が皆「稲」に関係のある名前である中で、ウガヤフキアエズだけが稲穂と無関係になっている。この理由については様々な説がある。ウガヤフキアエズには事績の記述がほとんどないことから、後から作られた神ではないかとする説もある。その理由は、山と海の力が合わさったこの神によって、天皇が山から海まで支配するその支配力を表すためとしている。

なお、『上記』『竹内文書』など一部の古史古伝では、ウガヤフキアエズは一柱の神ではなく、数十代に渡る王朝であったと記述している。(ウガヤフキアエズ王朝)また、出雲国風土記の屋代郷(島根県安来市)の地名説話に出てくる天津子がウガヤフキアエズともいう説がある[要出典]。

信仰
ウガヤフキアエズは、他の天皇につながる神と同様に農業の神として信仰されるほか、上記の説話から夫婦の和合、安産などの神徳もあるとされる。鵜戸神宮(宮崎県日南市)、宮崎神宮(宮崎市)などに祀られている。

埋葬地は、日本書紀に「吾平山上陵」と記されているが、その伝承地は南九州各地にある。明治7年、明治政府はそれらの中から、旧薩摩藩の学者の意見を参考にして鹿児島県鹿屋市(旧 肝属郡吾平町)を「吾平山上陵」に治定した(他の日向三代の神陵も鹿児島県内に治定している)。しかし、日向の人々からの反論があり、国学者や宮内庁の調査によって、明治29年、鵜戸神宮背後の速日峯山上が「御陵墓伝説地 吾平山上陵」と定められた。他に、宮崎県西臼杵郡高千穂町の「吾平山陵」とする説もある。

シントニア タコス オイル マヤ吉 ケルン ミーハー ボタン たこいと デュアル アルル ライン アクサ ビー玉 ロコモコ ライフ テナー クチル トッププ ナズナ ロベニア シタニア キング ブルー レンド ハファダ シリア マリンホス タイトス リテール シラー カノープス きねづか ブダペ スノーグ チョウゲ フルタイ モミジ デブリ ブラッシ 深海魚 シルバー ビーテ トライ サイキック ブレッツ プルーフ すいか くもり ダッジ ミーア

2009年03月29日

パブリックアートの制作者

パブリックアートの制作者は、ミケランジェロ、パブロ・ピカソ、ジョアン・ミロら、この用語が登場する前から公共空間のための作品を作っていた巨匠から、クレス・オルデンバーグ、ピエール・グランシェなど主に公共空間のために制作している近年の作家、サンティアゴ・カラトラヴァら元来建築家・構造設計家である者、その他建築や空間に落書きなどの形でゲリラ的に干渉する無名のストリート・アーティストまでさまざまな範囲に及ぶ。

公共空間のために制作する芸術家の中には、室内に入らない巨大な作品の制作のために野外での制作設置を積極的に行う人物もいる。1960年代以降、ロバート・スミッソン、リチャード・ロングなどのランド・アートの作家や、クリスト、アントニー・ゴームリーのようなインスタレーションを行う作家らは、サイズにとらわれず作品自体も永続しない野外空間を好んで制作の場としていたが、こうした野外空間で、環境と相互作用する作品作りや、環境との調和を図った作品作りが試行され、クリストらのように多くの関係者を議論に巻き込む公共性を帯びる作品を作るようになった者もいた。

美術の公共性 [編集]
パブリックアートは美術館などで鑑賞者一人ずつが体験する絵画や彫刻などの美術体験とは異なり、日常空間の中にあり、不特定多数の人々が同時に体験することができる。

ここでは作家の個人的表現や鑑賞者の個人的体験だけでなく、作家にはより公共に開かれた表現が要求される一方で、鑑賞する側も共同で体験しその経験を交換し合うことで、新たな公共性の創造や共同体の活性化が期待されている。

公共空間での芸術活動の歴史は古代から連綿と続いている。共同体が共有した洞窟壁画や集落の石仏などの偶像や、都市民が資金を出し合った彫刻や教会、権力者が都市や国土を壮麗にするため作らせた彫刻・建築なども公共的な芸術といえる。近代に入り芸術の自律性が確立した後、芸術は芸術家が個人的な表現のために行うものへと変わっていったが、彫刻家は政府や市民の求めに応じて公共空間に置く記念碑的な像の制作を手がける機会も多く、オーギュスト・ロダンの『カレー市民』などのように公共の発注ですぐれた表現が市内に置かれることもあった。
ジョブコー ダーポポ プライ オール ハンドグ フェア はずたか タフガ シミュレ 冬の花 ポテト トゥー ハンカ ハシェマ やまふじ インレット ゆずの里 カガシ マンシェ ナサラ ヌクレ 検索モミ カラカス スピー オリジナ 水菜 ビジョン ズーム マウンテ ドレス トカマク ムギセ ベニバ グラソース キング コード オパール オーセン クール ランボ たてじょう ブラゾーン おおみ リンス バロキ スノー ドウェー プレス プロペ いぬまき

パブリックアートが生まれたアメリカでは、大恐慌後の1930年代、ニューディール政策の下で、公共事業促進局の手で「連邦美術計画」が進められ、多くの失業美術家を雇って壁画や公共建築の彫刻を作らせるなど芸術家支援策が行われた。政府が直接芸術支援に介入したこの政策で、市民の身近に芸術作品が行き渡る効果が得られた。その後、戦後アメリカでは連邦政府や地方政府が芸術家支援のため積極的に芸術作品を発注したほか、1950年代 - 1960年代の都市再開発政策の中で都市に芸術作品が置かれるようになり、パブリックアートという言葉が誕生した。

2009年03月13日

ドレスデン・エルベ渓谷

「ドレスデン・エルベ渓谷」(ドレスデンにおけるエルベ渓谷)は、ドイツの都市ドレスデンにある世界遺産登録物件。ドレスデン市内を貫く形でおよそ20kmにわたっている渓谷は、エルベ川沿いの中部ヨーロッパにおける優れた文化的景観を形成している。この景観の価値は、渓谷が都市の一部であるとともに自然の河岸の一部であることに見出される。

エルベ渓谷の名所はいくつもある。城と歴史ある村落で有名なピルニッツやロシュヴィッツ (Loschwitz)、あるいはブラウエス・ヴンダー橋 (en:Blue Wonder)、ドレスデンケーブルカー (Standseilbahn Dresden)、ドレスデンモノレール (Schwebebahn Dresden) などの19世紀来の技術関連の施設・交通、そしてブリュールのテラス (Brühl's Terrace)、ゼンパー・オーパー、カトリック旧宮廷教会 (Katholische Hofkirche) などを含む歴史地区などである。また、ブラセヴィッツなどは、工業地区も含むとはいえ歴史的に郊外地区を形成してきた。
ドレスデン・エルベ渓谷は、2004年の第28回世界遺産委員会において世界遺産に登録されたが、渓谷には以前よりドレスデン市街の渋滞緩和を目的とした架橋計画(全長635m4車線のフォレスト・キャッスル橋)が存在していた。世界遺産登録により、登録を推進した住民と橋の建設を推進したい住民との間で軋轢が生じ、2005年には橋の建設の是非を問う住民投票へとつながった。住民投票では、建設賛成票が2/3以上となったため、計画が実行に移されることとなった。

第30回(2006年)世界遺産委員会の動き [編集]
ユネスコの世界遺産委員会では、橋の建設が景観の拡がりを分断・限定すると判断。一帯の文化的景観が損なわれた場合、もはや世界遺産としての「顕著で普遍的な価値」は認められないとの認識を示し、非公式にトンネルなどの代替施設の建設を求める一方、「危機にさらされている世界遺産」リスト(危機リスト)に登録もしくは世界遺産リストそのものからの除去を検討する動きを見せた。
バゲット クス ポイント ヌガー ソリッド 一石二鳥 ミックス ランウエー アヨーチン ブルペン ステーク ドンファン フィル 検索クワ ギガス おじまじ タンポン カレンシー ぼうふう トリグ シャーマン シシャパ キトサン タウリン フィー リーキ シシカバブ バーガー モダンアート セントラ ヒンドゥー フレッ サイゴン 王様検索 フルネュ ナロー ひみつり オーバ カーフェリ サーベイ レジェンド サー油 マイタ かぶらや デミタ ラジエ スター ダンサー テンキー イニング

世界遺産委員会からのプレッシャーの中、ドレスデン市議会は、委員会が開催される直前の2006年6月20日、橋の建設のための最初の競争入札を差し止める条例案を可決。建設は一時中止された。翌月、7月8日から開催された委員会では、ドレスデン・エルベ渓谷を危機リストに登録こそしたものの、世界遺産リストからの除去の決定はなく警告にとどめられた。これらの経緯に不快感を持った地域住民などの間で、世界遺産の保護は地元に住む一般市民(直接民主主義)による決定よりも優先されうるべきかということも議論となった。

自然保護団体による裁判 [編集]
一方、橋の建設に反対する一部の自然保護団体は、渓谷に住む希少種であるキクガシラコウモリの存在を理由に建設撤回を求め提訴していたが、2007年8月10日、ドレスデン行政裁判所は訴えを認め、建設を当面差し止めるよう命令した。この命令に対し、ドレスデン市ではなくザクセン州が控訴。同年11月14日、ザクセン上級行政裁判所は、一審の判決を覆し、橋梁上での自動車の走行に速度制限等を付することを条件に建設を認める判決を出した。5日後の11月19日には建設が再開され、土砂の掘削が始められている。

第32回(2008年)世界遺産委員会の動き [編集]
委員会から再び「警告」が出され、橋の建設が中止されないようであれば第33回(2009年)世界遺産委員会において登録リストから抹消する方針を確認した。


2009年02月25日

テイルズオブデスティニー

兵士として自らの名を上げるために故郷のリーネ村を飛び出したスタン・エルロンは、セインガルド王国の首都ダリルシェイド行きの飛行竜「ルミナ・ドラコニス」に密航するが、密航が発覚し武器を取り上げられてしまう。そこへ魔物が襲来。武器を取り上げられていたスタンは武器を探すため飛行竜内を捜索する。そして倉庫内で見つけたのが人格を宿す剣「ソーディアン・ディムロス」だった。

ディムロスのマスターとなったスタンは、その後の道中で「ソーディアン・アトワイト」のマスターであるルーティ・カトレットや、「ソーディアン・シャルティエ」のマスターであるリオン・マグナスらと出会い、「神の眼」を巡る騒乱に巻き込まれていく。

戦闘システム
「エンハンスト・リニアモーションバトルシステム (E-LMBS) 」
詳細はテイルズオブシリーズ#各種システム参照。
ソーディアンと晶術
特定のキャラクターは、「ソーディアン」を装備できる。ソーディアンはプレイヤーキャラクターと同様に経験値をためてレベルアップするという特性を持つ。ソーディアンはレベルアップ時に「晶術」を修得することがあり、ソーディアンを装備しているキャラクターは自身が修得した技の他にそのソーディアンが習得した晶術を使用できる。
ディスク
ソーディアンの性能を拡張するアイテム。装着したソーディアンの攻撃力を向上させ、あるいは特定の晶術が使える様にする。PS2版では廃止された(#ソーディアンの変更点・追加要素を参照)。
ガルドとレンズ
本作では戦闘に勝利すると、通貨である「ガルド」の他に「レンズ」を入手できる。このレンズは町や村にあるオベロン社の換金所で換金でき、レンズの換金レートは場所により異なる。
フードサック
前作『テイルズオブファンタジア』に続いて採用されたシステム。りんごやみかんなど、食べ物系のアイテムで中身を補充しておけば、1歩歩くごとにHPが1回復する。食べ物の種類は格段に増え、フードサックの数値だけでなく特殊効果が付加されているものもある。複数の食材を組み合わせて作る数値の高い食べ物系アイテムの数も前作の1種から4種となっている。
PS2版ではフードストラップという新たなシステムが追加され、PS版のフードサックと他のテイルズシリーズにおける料理システムとの中間のようなシステムとなった(#その他の変更点・追加要素参照)。
APW
APW(アクティブパーティウィンドウ)はフィールド画面で左下に表示されるウィンドウ。このウィンドウにはパーティメンバーの内、戦闘メンバーに選ばれている4名が表示され、フィールド上を移動するとウィンドウの背景も移動する。また、フィールド画面で何の操作もせずに一定時間経過すると、ウィンドウ内のキャラクター達が会話を始める。後のシリーズ作品のスキットの原型となったシステム。
マルチプレイ
装飾品であるチャネリングを装備したキャラを2P以降のコントローラーに対応した隊列に並べた状態(2Pなら二番目)で戦闘中でセレクトボタンを押すとマルチプレイが可能になる。好評だったこのシステムは後のシリーズでも受け継がれエターニア以降ではチャネリング必要なしでマルチプレイが可能になっている。

[編集] 登場キャラクター

設定・用語
国家
セインガルド王国
世界地図中央に位置する大陸の北方を占める二大強国の一つ。首都ダリルシェイドには、レンズに依存した高い技術力を有するオベロン社の本社が置かれ、世界で唯一の飛行竜も所持する。アタモニ神団の総本山ストレイライズ大神殿もセインガルド王国内にあり、世界で最もアタモニ教が布教されている国でもある。
ファンダリア王国
世界地図中央に位置する大陸の南方を占める二大強国の一つ。1年を通して降雪、積雪が絶えず、氷河なども存在する極寒の土地。国土が隣合わせということもあり、セインガルドとは比較的友好関係にある。現国王のイザーク・ケルヴィンは賢王として名高く支持率も高いが、一部には独立を希求する派閥も存在する(PS2版)。
カルバレイス
セインガルドから西方に位置する、広大な砂漠に多数の火山が点在する不毛の土地を国土としている。天地戦争時代に天上軍がゴミ捨て場として使っていた土地で、そこに天地戦争に敗れた「天上人」を追放したのがこの国の始まり。それゆえに長年に渡り他国から迫害を受け続け、国家としての独立を果たした現在も敵対感は根強い(ただしセインガルドとは国交がある)。首都カルビオラにはストレイライズ神殿も建設されているが、住民は異教としか見ておらず布教は進んでいない。国の一角に天地戦争時代のゴミ山、トラッシュマウンテンがある。
国唯一の港町であるチェリクには「バルック基金」が設立されていて、PS版では貧しい子供達に生活用品を配るなどしていて、住民の感謝の声が絶えないようだが、PS2版では建物の外観や設備、職員の生活が恵まれているなどの理由から、住民には嫌悪されている。
フィッツガルド
カルバレイスから南方に位置する民主主義国家。温暖な気候を持つ緑豊かな国土を持つ。首都ノイシュタットにオベロン社の支社が置かれたことで急速に発展し、現在は資本率世界第2位を誇る富国である。同時に、オベロン社を擁するセインガルドの強い影響下にあることから、セインガルド側にはフィッツガルドを属国として見る傾向がある(この傾向に対する抵抗感も存在する)。また、首都ノイシュタットでは、急速な発展に伴う激しい貧富の差が問題となっている。特に裕福な者は移住者側に偏りがちで、この点にも不満感が強い。
新進の国家であるため、首都の周辺を除けば開拓は殆ど進んでいない。他に、ノイシュタットの闘技場が世界的に有名。
アクアヴェイル公国
セインガルドから北東に位置する東洋風の国家連合。複数の領国から成り、それらを一括して「アクアヴェイル」としている。鎖国状態にあり、他国との交流が厳しく制限されている。特に建国の経緯からセインガルドとの関係は非常に険悪で、オベロン社の支部やストレイライズ神殿はない。
じんのおび トップライト テドラル なかよし ナベラル モルグ ベニデュ ムード フォワグ ビアガ 芽キャベツ セーラー ローレライ ビーフ シャッター トリノ むぐらふ ノッポ リップ チェン デコレータ サカユ ききょう キウイ デッド ハイウェイ ブロック シリーズ フィクシ ミレニアム リチェ リスチン かくぐう ラウィ フワン フラグ サーチトゥ ニック スポット レーベル 迷い道 カエサ タピオカ リトライ オブソ ソフトテニ ナンス カシミ プルーン おびひろ

レンズ
およそ千年前に地球に衝突した巨大彗星の核の欠片。特有の特殊エネルギーを含有しており、レンズから引き出したエネルギーは機械の原動力や医薬品など様々な形で利用されている。また、精神エネルギー(人間のものに限らない)に反応を示す性質があり、思考・集中のみでレンズからエネルギーを引き出すことができる。このエネルギーを意のままに操る技術が晶術である。現在は主に天地戦争時代の遺跡やモンスターの体内から発見・採取される。

レンズが含有するエネルギーの総量はレンズの規模・純度・密度などに関係し、エネルギーを出し尽くしたレンズは何の役にも立たないガラス細工の代物になってしまう。しかし、一定の行程を経て加工されたレンズはエネルギーの発生源としての性質を持つようになり、こうしたレンズは破損しない限りエネルギーを生み出し続ける。後述の神の眼やソーディアンのコアクリスタルなども、こうした加工されたレンズの一種である。

巨大彗星の衝突とその二次災害により人類は滅亡の危機に瀕したが、同時にレンズを発見したことにより、この危機を回避する。レンズの利用方法は天地戦争の終結まで研究、確立された。レンズテクノロジーは戦争終結を期に徐々に廃れていったが、およそ20年前よりオベロン社を中心に再び世界中に普及している。しかし、現在の技術水準は天地戦争時代のそれには到底及ばず、飛行竜やソーディアン、ベルクラントなど、天地戦争時代には現在の技術では製造不可能な様々なものが開発された。

モンスター
レンズを体内に取り込んだ動植物。体内に取り込んだレンズの影響で変態(巨大化、奇形化など)し、多くは凶暴化する。レンズを抜き取ると元に戻る。また、レンズによるモンスター化は人間も例外ではない。

モンスターは基本的に野生動物が誤ってレンズを取り込むことで生まれるが、天地戦争時代には軍事利用のために人為的に生み出されたモンスターも存在した。それらのモンスターが繁殖、進化した結果、現在では非常に多種のモンスターが世界各地に生息している。こうしたモンスターの中には体内のレンズから力を引き出して、晶術を使う種もいる。

神の眼
直径6mの球体状巨大レンズ。そのサイズに比例した凄まじいエネルギーを含有しており、天地戦争時代には空中都市を浮遊させるためのエネルギー、ベルクラントのエネルギーを同時に供給していた。

天地戦争終結後、空中都市の再利用案が却下された時点で神の眼の破壊が試みられたが、強力なエネルギーフィールドに阻まれ傷一つつける事が出来ず、やむをえず封印措置となる。後に存在を知り、悪用を企てる者が現れる事を恐れた地上軍の幹部達は、隠れ蓑としてアタモニ神団を創設し世間からその存在を隔離させた。以後、セインガルドのストレイライズ神殿地下に長きに渡り保管されている。

飛行竜
巨大な竜の姿をした空を飛ぶ乗り物。天地戦争時代に有機体とレンズを結合させる研究の一部として開発された。巨大な竜という外見のため、モンスターの襲撃を受ける心配は無い。また、同様の研究で海底に潜ることのできる「海竜」、ベルクラント防衛を目的とした「守護竜」も開発された。有機体とレンズが融合した存在と言う点ではモンスターに近い存在と言えるが、モンスターの様に自我を持っている訳ではなく、あくまでも乗り物である。

生体金属と呼ばれる希少な金属「ベルセリウム」を多量に使用しているため、製造数は少なく、現存する唯一の飛行竜ルミナ・ドラコニスはセインガルドが管理、運用している。また、海竜ベルナルドは海底のラディスロウに保管、守護竜はベルクラントで保管されていた。

ドラマCDでは動力源が無い飛行竜がカルバレイスのどこかに廃棄されていたのをグレバムが発見、再起動した。

PS2版では同系列の存在と思われる「始祖竜」が登場した。

天地戦争
およそ千年前に空中都市と地上との間で起きた大戦争。

戦況は常に制空権を握りベルクラントを擁する空中都市の天上軍の有利に進んだ。しかし、地上軍も作戦総合本部だった軍事施設ラディスロウを推進装置をつけた移動要塞として浮上させ、空中都市の首都にソーディアンチームを送り込んだ。首都への強襲の結果、戦争は地上軍の勝利に終わる。

PS2版では、天地戦争に関する記録が現代に殆ど残っておらず、「大昔に天地戦争という大きな戦争があった」「神の眼と呼ばれるものが戦争の元凶であった」程度の記録しか残っていない。

空中都市
巨大彗星衝突の二次災害(星全体を覆う粉塵や天変地異など)により極寒の世界となった地上から脱するために建造された、レンズの力で空中に浮かぶ都市。正確には「外殻」と呼ばれる人工の大地を、地表を覆う塵の上空に浮上し、その上に多数の都市を設置している。ただし、ベルクラントによって外殻を形成するために浮上した空中都市の首都ダイクロフトだけは都市自体が浮いている。

元々は市民全員を空中都市に上げる予定だったが、先遣隊としていち早く移住した一部の人間が、自分達を選ばれた者だと思い込み「空中都市には自分達のような優れた人間のみが住むべきだ」と主張。「天上人」を名乗り地上の人々に圧政を敷いたことで、地上の人々が反発、天地戦争勃発のきっかけとなる。

戦争終結後は「破壊案」「再利用案」などの意見が出たが、環境に与える影響などを考慮した結果、最終的に地上軍最高幹部の1人であったラヴィル・クレメンテの意見により海底に沈めることとなった。

ベルクラント
空中都市の首都ダイクロフトに搭載された、「無差別地殻破砕兵器」と呼ばれる巨大なレンズエネルギー砲。元々は地面を粉砕し、巻き上げた塵で外殻を形成するための作業機械として開発されたものであった。しかし、その破壊力から天地戦争時には地上を攻撃する戦略兵器として使用された。

これにより地上軍は天地戦争において終始劣勢を強いられたが、ベルクラントが兵器として使用されたことが空中都市のベルクラント開発チームに地上への亡命を決意させるきっかけとなり、地上軍勝利の要となったソーディアンの完成へと繋がった。

ソーディアン
人間の記憶や人格を、高密度に高熱集積したレンズ「コアクリスタル」に投射し、剣に装着した「意思を持つ剣」であり、天地戦争時代末期に地上軍の切り札として開発された局地戦用の戦術兵器。地上軍の天才科学者ハロルド・ベルセリオスにより理論が提唱され、ベルクラント開発チームが亡命の際にコアクリスタルのベースとなるユニットを持ち込んだことで完成した。

マスターはコアクリスタルのエネルギーを利用した強力な晶術を行使し、投射された人格と意思の疎通を図ることで剣との同調性を高め、白兵戦においても通常の剣を上回る戦闘能力を発揮できる。また、コアクリスタルに投射された人格とは明確な言語のやり取りも行えるので、日常会話なども可能。ただし、コアクリスタルから力を引き出せるのは特別な素質を持つ者に限られ、素質を持たない者にとってはただの剣でしかない(意思の疎通も不可能)。このような素質を持つ者であれば、投射されている人格が自分のものでなくてもソーディアンと意思の疎通を図り、コアクリスタルから力を引き出せる。

PS2版では、別々の人格同士の連携ではオリジナル同士の場合よりも劣る力しか発揮出来ないという設定となっている。

ソーディアンはコアクリスタルに投射された人格と使い手との精神同調が不可欠であり、コアクリスタルには使い手自身の人格が投射され、開発された6本のソーディアンにはそれぞれ人格を投射した使い手の氏名が付けられている(テイルズオブデスティニーの登場キャラクター#ソーディアン参照)。例外として、ソーディアン・ベルセリオスの使い手は投射体のハロルド・ベルセリオスではなく、双子の兄のカーレル・ベルセリオスである。

ソーディアン・マスターで結成されたソーディアンチームは空中都市の支配者を討ち、地上軍を勝利に導いた。しかし、戦争終結後に人格を投射したオリジナルメンバーとソーディアンの相互干渉により、互いの人格が崩壊する可能性があるという問題が発生したため、神の眼・空中都市・ラディスロウと共に隔離・封印処置が決定、各々が遠く離れた地に保管されることになった。

2009年02月08日

ヴィエンチャン王国

1707年、ルアン・プラバーン王国の分離・独立に追随する形で離反を企て、ヴィエンチャン王国から独立しようとする領主も現れたが、1709年のムアン・ナコンの領主プラプロム・ラーサーの反乱で蜂起軍が制圧されて以降は特に目立った離反活動は見られなくなった。サイ・オン・フェが1730年に死亡した後、王位を継承したオン・ブンは1770年、活動が活発になったトンブリ王朝(シャム)のタークシン王に使節を派遣し、同盟を試みた。この同盟は両国の内政状況から歓迎されるものではあったが、思い描いているほど円滑な進行は叶わず、互いの想いにわずかなズレが生じていた。
チャージ タラソ パント トレード 赤ランプ ヒョウ ナブラ ブルマナ スラト トムトム あしたば おれたち シュズ ルームメ カミオ シシュフ パナマ ダウン すだち ダイナ オカル チンギス リージア ネオジ つるが リニティ バップ オロシ かいづか あつま 石榴 ジエンド プレッ ラウンジ ドロップ ビクー ひらら ビノク シェーカー ラタトゥ 麦わら イキシア パッチ ウイロ 麦わら帽子 単発ガ ネイビー ライフ ムスリム ロベリア

それが具現化するのが1773年のルアン・プラバーン王国のヴィエンチャン王国侵攻である。このとき、ビルマとシャムの間で戦争状態にあったにも関わらず、オン・ブンは駐屯地が近いという理由でビルマに対し、援軍を要請している。チエンマイにおいてこの要請を受けたビルマ軍司令官ポー・スパラはその旨をルアン・プラバーン王国側へ通達し、戦わずして両国の争いを平定し、権力下に置くことに成功している。敵対するビルマとのこうした動きに対しシャムのタークシン王は疑心暗鬼に陥り、ヴィエンチャン王国を信用しない表面上だけの外交を行うようになった。その後、1777年、ビルマがシャムへの攻撃を行い、シャムの勝利に終わるとその足でヴィエンチャンへ侵攻・同都を占領し、ヴィエンチャン王国を属領とした。

ルアン・プラバーン王国
1713年、当時の王キン・キッサラートの死亡により、王位はオン・カムが継承した。その後1723年にはキン・キッサラートの弟インターソムの謀反によりオン・カムは王位を剥奪され、チエンマイに亡命している。その後ルアン・プラバーン王国ではおおむね平和な状態が継続し、1771年、スリニャ・ウォンサーが王位を継承するとヴィエンチャン王国がビルマとシャムの対応に苦慮している状況を好機と見るや、王都ヴィエンチャンへの侵攻を始めた。しかし上述の通り、ポー・スパラの策により軍を撤退せざるを得ない状況となった。

その後1777年、シャムによるビルマおよびヴィエンチャン王国への反撃が開始されるとシャム側へヴィエンチャン王国へ攻撃可能な旨を伝え、支援をしようとしたが、先の一件でビルマと通じていたとみなされたルアン・プラバーン王国もまた1778年にシャムに占領され、シャムの属領となった。

チャンパーサック王国
チャンパーサック王国は1713年、アユタヤ王国タイサ王の計略によりニョート・ケーオらの独立宣言によって独立を果たし、新しい国王としてシーサムット女王を擁立した。その後シーサムット女王が1738年に死亡するとサイニャ・クマーンが王位を継承。しばらく平和が堅持されたが、1779年、ヴィエンチャン王国とルアン・プラバーン王国を属領下に置いたシャムの侵攻を受け、他の二国と同様にシャムの属領となった。

シャム属領下時代
ラーマ1世王座像ラーンサーン三王国を属領下に置いたシャムで1782年、武将カサットストックによる反乱が発生し、タークシン王は王座を追われることとなった。新しく王座についたカサットストック(ラーマ1世)は王都をトンブリから対岸のクルンテープ(バンコク)へ移し、トンブリ王朝は終わりを告げ、チャクリー王朝の時代が始まった。このような政権交代の時期にあってラーンサーン三王国に対してあまり手がかけられない事情もあり、カサットストックは三王国に対し、大幅な自治権を認めた。

ヴィエンチャン王国
シャムのヴィエンチャン占領後、カムクートへ逃亡していたオン・ブンが1781年に死亡したため、タークシン王はヴィエンチャン王国の新しい王としてナンターセン・ポンマラオを擁立した。ヴィエンチャン王国は1787年頃よりシェンクァンの領土を巡り、越との対立が激化していく。この対立はゲーアンのカイサーンによって越に勝利がもたらされたが、シェンクァンの領土を巡っては以降双方の意見が対立しあう、不安定な地域となってしまった。

その後ナンターセン・ポンマラオの死後は弟のインタウォンが王位を継承し、1798年から1799年にかけてシャムで行われたビルマ残留軍掃討作戦へ参加した。この時司令官に任命された副王チャオ・アヌウォンを高く評価したシャムは、1803年にインタウォンが死亡するとチャオ・アヌウォン(セタティラート3世)を王位に就かせた。

チャオ・アヌウォンは1807年に新王宮の建立、1808年にタート・パノム橋の建設、ノーンカーイにシー・ブンファン寺院の建立、1824年にセーン寺院の建立など当時の土木技術の粋をこらした建築物を多く残している。

1827年、チャオ・アヌウォンは王室会議を開き、シャムの不安定な状況を鑑みた上での独立作戦を提唱した。この作戦は副王らの反対にあったが、実施することで決議され、密かにバンコクへの派兵を進めていたが、これを察知したルアン・プラバーン王国や、作戦自体に不満を持っていた副王ティサらによる作戦の漏洩によりシャムに感づかれる形となってしまい、失敗に終わっている。チャオ・アヌウォンは逃亡を計ったがシャム軍に逮捕され、獄中で死亡した。シャムはヴィエンチャン王国の再攻を懸念し、王都を徹底的に破壊せしめたため、事実上1828年にヴィエンチャン王国は滅亡した。

ルアン・プラバーン王国
1791年にスリニャ・ウォンサーが死亡すると、インタソーム王の第二子であるアヌルッタが王位に就いた。ヴィエンチャン王国との紛争が原因でアヌルッタ王は1792年に一時シャムに逮捕されたが、4年後には復位し、1817年に死亡するまで王位に就いた。その後はマンタトウラートが即位、1827年、マンタトウラートはヴィエンチャン王国のチャオ・アヌウォンから独立の決意を秘密裏に打ち明けられるも、この情報をシャムへ流し、ヴィエンチャン王国の独立を阻んだ。1852年、チャンタラートが即位した翌年にシェントンで民衆の反乱が勃発。これを制圧したことをシャムより高く評価され、1779年にシャムに押収されたプラバーン金仏像がルアン・プラバーン王国へと返還されている。

ルアン・プラバーン王国の統治はおおむね平和に行われていたが、1872年より、突然複数のホー族による来襲が始まった。ホー族の襲撃は2年間に渡り続けられ、シップソーン・チュタイ地方、ムアン・テーンなどルアン・プラバーン王国の北東部を占拠されるに至った。1874年にはいったん沈静化したが、翌年より再びシェンクァン、ヴィエンチャンなどでホー族の襲撃が行われている。これらの襲撃はシャム軍による掃討作戦により一応のおさまりを見せたが、1885年に再度ヴィエンチャンが襲撃に遭い、1887年にはルアン・プラバーン王都が襲撃された。この襲撃により当時国王であったウン・カムとその家族は危機に晒されたが、フランス副領事館のオーガスト・パヴィにより救出され、パークライへの逃亡に成功している。

長きに渡ったホー族の反乱はルアン・プラバーン王国の住民に初動が遅れたシャムへの不信感を植え付け、逆に国王を救出したフランスへの信頼感を産み出す契機となった。

チャンパーサック王国
チャンパーサック王国では1791年、シェン・ケーオによる反乱が発生し、当時の国王サイニャ・クマーンが死亡するという事態が発生している。この反乱はシャム軍により鎮圧され、バーン・シンターに駐屯していたチャオ・ファイナーが反乱鎮圧の功を認められ、新しい国王に就いた。その後、1813年に王位に就いたチャオ・マー・ノーイと副王タンマキッティカの間で権力闘争が勃発したが、シャムによる副王解任で大きな被害はなく混乱は収まった。

チャオ・マー・ノーイの時代に超能力者を自称する高僧サーが、住民を扇動してチャンパーサック王都を占拠するという事件が発生。チャオ・マー・ノーイはこの事件がきっかけで逃亡先のバンコクで死亡し、1819年、チャオ・アヌウォンの息子であるチャオ・ニョーが新しく国王に就いた。チャオ・ニョーは城壁の修復や税制改革などで敏腕を発揮し、名君と謳われたが、1825年、父親チャオ・アヌウォンが起こしたヴィエンチャン王国の独立戦争に賛同して挙兵したためシャムによって逮捕され、獄中で死亡した。

チャオ・ナーク王の1837年にチャンパーサックは大火事に見舞われたため、王都をバーン・ヒートホート郊外に転移させた。その後コティタムトーン王の1863年に再び遷都が行われ、メコン川西岸、ポーンポックとラコーン寺の間に移された。この時の遷都により作られた都が今日のチャンパーサックの基礎となっている。

フランス植民地時代
帝国主義時代になると、ヨーロッパ列強がアジア各地を次々と植民地にしていった。ラオスもその例外ではなく、植民地獲得競争に巻き込まれた。1885年、清仏戦争の結果、ベトナムに対する宗主権を清は失った。すでに、フランスは、1863年には、カンボジアを保護国化していたので、植民地化をめぐる次の標的を内陸国ラオスに定めた。

1893年、タイ王国との間で、ラオスをめぐり、仏泰戦争が起こると、フランスはタイを圧倒し、1904年には保護国化を完了し、フランス領インドシナが完成した。

第二次世界大戦中、ラオスは日本の占領下に置かれたが、1946年、ラーオ人の民族主義者の手によって、再度、植民地政策を推進しようとするフランスからの独立を宣言した。インドシナ戦争の期間に、ベトナム共産党は、ラーオ人の独立を支援するために、パテート・ラーオを組織した。1954年、ジュネーヴ協定に基づいて、ベトナムと同様に、ラオスも独立を達成した。

ラオス王国の独立
ラオス王国独立時の国王シー・サワンウォンラオス王国は1947年7月19日にフランスとの間に締結されたフランス・ラオス協定により名目上独立を果たしたが、フランス連合の枠内のみに限られたもので、外交および国防の決定権はフランスに握られた状態だった。これにともない、行政機関や軍隊、警察といった政府機関の確立と整備が最重要課題として取り上げられたが、60年という長い植民地期間によってそれらの課題を担当しうる人材の確保は困難を極めた。

また、他の課題として取り上げられているものに国語の問題があった。これはフランス植民地時代の公用語はフランス語、一般大衆の話すラーオ語、三王国時代に独自の発展を遂げた発音の違いや不足している語彙をどのように補うかという難しい問題であり、王国政府は1949年11月27日に正字法の基本方針と国語のあり方について検討する検討委員会を設立させた。

一方、ラオ・イサラ亡命政権では親仏派とベトミン共闘派の立場の相違が決定的なものになり、袂を分かつことになった。プーマ殿下らはヴィエンチャンでラオス王国政府創設に参加し、フランスとの友好関係を築くピブン政権を発足させたのに対し、スパーヌウォン殿下らは1950年8月、パテート・ラーオ政府を樹立し、抗仏ゲリラ闘争を宣言した。1951年にはカンボディア、ヴェトナムのホー・チ・ミン一派の抗仏組織らと三者会談を行い、「インドシナ合同民族統一戦線」を結成した。

ヴェトナムおよびラオスのこうした状況から、フランスは植民地支配の終結を判断。1953年10月22日にラオス王国は完全独立した。ラオス王国ではプーマ首相の下、「第一次経済・社会開発五ヶ年計画」が実行に移され、国づくりへの取組みが本格的に始動した。

1954年5月8日からインドシナ停戦会議がジュネーブで開催され、ラオス王国領土内からの全ての外国軍隊の撤退、パテート・ラーオ軍の北部二県結集、および軍事的中立が合意、採択された。インド、カナダ、ポーランドの三国によりこの実施内容の監視を行う団体(ICC)が設置された。

また、インドシナ停戦会議の結果から王国政府とパテート・ラーオの間で、(1)パテート・ラーオ軍の一部を王国政府軍に編入する事。(2)フォンサリ・サムヌーアの両県の行政権をパテート・ラーオから王国政府に返還する事。(3)パテート・ラーオは政治団体「ネオ・ラーオ・ハクサート」(NLHS)を設立、改組し、王国政府との連合政府を樹立する事。の3点が合意された。

民族解放戦争時代
1956年7月4日、王国政府とNLHSの連立政権樹立に向けた合意をきっかけにカタイ内閣の総辞職、次いで8月10日にプーマ殿下を首相とする連立政権が発足した。さらに翌年12月8日にはサムアヌ県の行政権が、12月18日にはフォンサリ県の行政権がそれぞれラオス王国に返還された。

1958年5月4日サムヌアとフォンサリでNLHSが初めて参加する補欠選挙が行われ、新設21議席のうちNLHSは9議席を獲得、NLHSと同盟した平和中立党が4議席を獲得し、左派が議席の過半数を得た。これはNLHSが唯一参加した選挙であった。しかしこれに危機感を募らせた米はラオスへの経済援助停止を表明、右派は総辞職を決行し、次代首相に親米派のプイ・サナニコーンを指名した。

これを受けたNLHSは親米派首相の元での入閣を拒否、プイ内閣の単独・親米内閣が発足した。こうして、ジュネーブ国際会議で合意された連合内閣はわずか9ヶ月で幕を下ろした。プイ内閣発足後、アメリカはラオスへの経済援助を再開した。ラオスにおけるアメリカの影響力強化を懸念したNLHSは、プイ内閣への反政府行動を宣言、やがて、王国政府軍に帰属していたNLHS派兵士が集団脱走していくという事態が発生、各地で衝突や抗争が勃発し始めた。

1959年5月11日、王国政府はヴィエンチャンに滞在していたスパーヌウォン殿下らNLHS幹部らを逮捕、ポンケーン刑務所へ収監するという強硬手段に出た。7月16日には王国政府軍とNLHS軍の衝突事件が起こり、プイ内閣はNLHS側に政権ポストを空けて交渉の余地を持たせたが、こうした態度は弱腰であるとして、10月30日、国益擁護委員会(CDNI)によるクーデターが発生。プイ内閣は崩壊した。1960年4月24日、NLHSを除外しCDNIが管理する形式選挙を実施、CDNIは全59議席中37議席を獲得。翌月、CDNIが結成した民主社会党のソムサニット内閣が発足した。ソムサニット内閣の誕生によりラオス王国はさらに親米に偏り、アメリカの短期間かつ過剰な援助は国内の経済状況にインフレを齎した。

1960年5月23日、住民らの手を借り、ポンケーン刑務所からスパーヌウォン殿下らNLHS幹部が脱走。反政府活動は次第に激化していった。

1960年8月8日、王国政府軍第二大隊長コン・レー大尉によるクーデターにより、首都ヴィエンチャンが占拠された。コン・レー大尉はプーマ元首相に対し組閣を要請、元首相はNLHSとの連立政権を発足させた。アメリカは対ラオス王国援助を停止し、タイ王国もアメリカの要請で国境封鎖を断行した。これらの経済制裁にラオス王国は困窮し、ソビエト連邦に援助を要請、ソビエト連邦との国交を樹立させた。ソビエト連邦にとってはこの要請は東南アジアへ進出する契機となり、緊急救援物資の輸送などを積極的に行った。

アメリカはコン・レー大尉らのクーデターから避難していたノヴァサン将軍ら右派を援助し、軍の再編成を進めた。将軍らはサヴァナゲートからアメリカとタイ王国の援助を受けて北進し、1960年12月16日首都ヴィエンチャンを奪回した。その後将軍はチャンパーサック家出身のヴン・ウム殿下を首相に推し、ヴン・ウム内閣が発足した。NLHS側は1960年末から再び軍事行動を開始し、1961年1月1日シェンクァンを占領、その後ルアン・プラバーンやフォンサリなどといった地域を次々と占拠していった。こうした事態を受けアメリカ合衆国大統領ドワイト・D・アイゼンハワーは第7艦隊に警戒態勢を発動するなどしてNLHSへ圧力をかけたが、NLHS軍はその後もサムヌア、ヴィエンチャン、ルアン・ナムター、カムムアン、サヴァナケートなどの各地域に勢力を拡大していった。

NLHSの軍事行動はタイの安全性を脅かすとしてタイ首相サリットはSEATOへ派兵要請をしたが、加盟国内で調整がつかず、実現しなかった。サリットはSEATOを痛烈に批判し、アメリカへ頼る形へ方向転換する。1961年5月16日から開催のジュネーブ国際会議ではラオス王国の問題の解決が議論され、ラオス王国は本会議を受け、チューリッヒに国内派閥間会合の場を設けた。その後1962年6月12日にジャール平原での三派会談で、プーマ首相による新連立政権樹立が合意された。ジュネーブ国際会議はこの合意を受け、「ラオス王国の中立に関する宣言」を7月23日に採択した。ラオス王国内に駐在していたアメリカ軍及びヴェトナム軍は撤退し、ようやく平和が訪れたかに見えたが、半年後1963年中立派要人のケッサナ大佐とキムニ外相が何者かに暗殺されるという事件が発生、これにより中立派の勢力は弱体化・分裂していった。同年4月にはクープランシット将軍によるクーデター未遂が起こった。連立政権への不信を増したNLHSは閣僚を引き揚げ、以後政権は中立派はプーマ首相のみの閣僚は全て右派となり、発足当初の三派連合政権としての機能を完全に失った。

1965年7月にはNLHS不参加の形式選挙が実施され、政権は南部保守派が主導権を握った。NLHSは中立左派と連携を強化し、この頃より呼称を「人民解放軍」と改めた。1967年末頃サヴァナケートで本格的活動を開始し、翌1968年にはジャール平原、ルアン・プラバーン空港、ムオン・スイ基地などを占領した。NLHSは1970年3月の声明で、アメリカ軍の完全撤退・総選挙実施・臨時連合政府樹立・休戦を訴えたが、王国政府側はヴェトナム軍が駐留する限りありえないとしてこれを退けた。このためNLHSと中立左派は軍事行動を激化させ、同年3月以降、サムトーン基地、アトプー、サラワンを制圧した。

この後、1972年ヴェトナム和平に関するパリ会談を受け、王国政府とNLHSとの交渉で、2月21日「ラオスにおける平和の回復および民族和解に関する協定」(通称ラオス和平協定)が調印され、ラオス王国における王政維持を含む枠組みを定めた政治体制について合意がなされた。王国政府とNLHSは解体され、合同で設立した暫定国民連合政府によって、行政機関の改組が実施されていった。

1975年5月1日には首都で住民2万人規模の大規模な反右派デモが起こり、鉾先を向けられた右派閣僚五名が辞職したほか、高級官僚、軍人、警察官の相当数が辞職または国外に脱出した。さらに5月21日にはアメリカ国際開発局(USIDA)ビルがデモ隊に占拠され、暫定国民連合政府がUSIDAの閉鎖を示唆すると、アメリカ政府は5月27日撤収に合意した。こうした情勢を受け、暫定国民連合政府により12月1日ルアン・プラバーンで開催された全国人民代表者会議において、シー・サワーンワッタナー国王の退位が承認され、王制の廃止と共和制への移行が宣言、スパーヌウォン最高人民議会議長兼大統領を頭に置くラオス人民民主共和国が誕生した。

2009年01月23日

MHP2のアップグレード版

2008年3月27日発売のPSP専用ソフト(PSP同梱版も同日に発売[3])。PSP用ソフトの第3弾。2007年の東京ゲームショウで発表された。

MHP2のアップグレード版であり、武器や防具などのデータは引継ぎ可能だが、バランス調整の為、一部の装備は数値が修正される。新システムとして、狩りにアイルーを連れて行ける「オトモアイルー」が、またモンスターハンターGでも存在した、上位よりも難しいG級クエストが追加され、MHPまでに登場した旧フィールドや、新フィールド「樹海」を登場させている。前作には出現しなかったヤマツカミや、新モンスターとして迅竜ナルガクルガやババコンガ亜種、ダイミョウザザミ亜種、ショウグンギザミ亜種、ドドブランゴ亜種、崩竜ウカムルバスなどが登場する。これらに加え、MHFからはヒプノック、ヴォルガノスが登場。今までの怒り状態から更に怒って身体に雷を帯びたラージャン(激昂)も登場。また、ほぼすべてのモンスターに攻撃方法の追加、調整がなされている。装備面では新たにG級ハンター用防具として「Xシリーズ」と「Zシリーズ」が追加された。これらの防具は髪の色のように3種類のバーを動かすことによって、一部の色を変えることが出来る。武器については各武器種ごとに細かな性能の調整も行なわれている。今作ではシステム的な側面においても変更されている部分があり、メディアインストール機能では、一部のゲーム情報をあらかじめメモリースティックに保存しておくことで、UMD単体からデータを読み込む場合と比べてロード時間を短縮することができる。MHP2で採用されたBGロードも継承され、この二つを組み合わせることによってロード時間がさらに短縮された。戦闘時のBGMはMH2のものからMHFのものへ変更されている。 PS3を経由して、離れた場所にいるプレイヤーとも通信ができるようになった。

2008年4月1日には100万本出荷が公式に発表され、PSPシリーズとしてはMHP、MHP2に次いで、3作連続で100万本出荷を達成した。発売から6日での100万本出荷はシリーズ通して初となる。その後4月25日プレスリリースよりPSPのソフトでは最多となる200万本出荷が発表された。『Wii Fit』と共に日本ゲーム大賞2008年度大賞受賞。

モンスターハンター トライ(MONSTER HUNTER 3)
この項目には、発売前あるいは配信・稼動開始前のコンピュータゲームやその関連作品についての記述があります。ウィキペディアはニュース速報でも宣伝サイトでもありません。性急な編集をせず事実を確認し、正確な記述を心がけてください。
モンスターハンター3(トライ)
MONSTER HUNTER 3(tri-) ジャンル ハンティングアクション
対応機種 Wii
発売元 カプコン
メディア Wii用12cm光ディスク
発売日 2009年予定
価格 未定
対象年齢 CERO: 審査予定
表・話・編・歴
2009年に発売予定のWii専用ソフト。2007年10月10日に開催された『任天堂カンファレンス 2007.秋』で発表されたナンバリングタイトル第3弾で、MH2の正統な続編である。PS3向けに発売が予定されていた『モンスターハンター3(仮題)』はWiiへの移行に伴い開発中止となった[4]。

2008年10月9日?12日開催の東京ゲームショウ2008で発表された情報によると、操作はWiiリモコン+ヌンチャクのほか、クラシックコントローラにも対応。また、オフラインモードでは画面を上下に分割して2人同時プレイが可能[5]。
新モンスター・新フィールド・新クエストが新たに追加された。

メディアミックス
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

ゲームドラマ
公式サイトで掲載されているハンター日誌をベースに、ファミ通WaveDVDで連載されていたドラマ。

モン
声 - 陰山真寿美
一人前のハンターを目指す、元気で明るい少女。口調は関西弁。MHP2ndGの村長上位クエストにて、彼女が依頼しているクエストが存在する。祖父のタツジーは伝説のガンナーと呼ばれていたが、『G』第1話で指摘されるまで全く気づいていなかった。
初期の使用武器はハンターナイフやポイズンタバルジンなどの片手剣。『ハンター日誌』では、一時的にDDの斬破刀も使用している。『ハンター日誌G』第4話より、双剣使いのエンタロウにあこがれて双剣オーダーレイピアを使い始め、封龍剣【超絶一門】も扱った。
防具はチェーンシリーズからハンターSシリーズ、フルフルSシリーズと換えており、ピンキーストリートではオリジナルのアイルーシリーズを身につけた姿で立体化された。
DDが装備しているレウスSとクシャナは本来モンが装備するはずだった。
DD
声 - 戸谷公次(MH)→田中秀幸(MH2)
使用武器は斬破刀。モンが初めて出会ったハンターであり、師匠と慕われている豪快な中年男。DDは「ダイナマイト・ダンディー」の略。斬破刀がMH2より太刀に移行したため、大剣から太刀使いのハンターとなった。ギルドナイトに所属していた過去を持つが、狩りのことしか頭になく、『ハンター日誌2』では装備の支払いを忘れてモンが借金の肩代わりをするハメになる。
普段の防具はレウスアームにレイアグリーヴで頭と胴には防具をつけず、腰はボーンフォールドというスタイルで、「異様な風貌」と表現されている。後にレウスSシリーズ、クシャナシリーズと装備を換えた。
後の2つは本来モンに買い与える前に試着したら狩魂が燃えてきて、そのまま自分のものにしてしまったため。
『ハンター日誌』
デイビー
声 - 田中一成
モンと共に行動するハンマー使いのハンター。こんがり肉を愛し、戦闘中に肉を焼いてしまうほどマイペース。公式サイトのハンター日誌では序盤からモンと行動を共にしているが、ハンター日誌Gでは最終話に少しだけ登場。
防具はハイメタシリーズを身につけていたが、リオレウス討伐の際にゲリョスシリーズに換えている。
ロッキー
声 - 神奈延年
モンと共に行動するランス使いのハンター。普段は気取っているが、頭に血が上りやすく、興奮すると雄叫びを上げながら突進し続ける癖がある。デイビーと同じく、公式サイトでは初期から登場し、ハンター日誌Gの最終話でも少しだけ登場した。
防具はランゴシリーズだったが、リオレウス討伐の際にはタロスシリーズとなっている。
ラミア
声 - 鈴木麻里子
ボウガンを使いのハンター。沈着冷静で口は悪いが仲間想い。以前、イャンクックに仲間を殺されたことがあり、その仇討ちとしてモンたちのイャンクック討伐に同行した。その後、一度はパーティーを離れるが、リオレウス討伐の際に装備を刷新して合流している。
防具はガノスシリーズからガレオスシリーズとなり、武器もライトボウガンからヘヴィボウガンとなっている。
『ハンター日誌G』
新しくできた仲間と共に、ハンター生活を楽しみながらもラオシャンロンと戦うことになる。小説版MHとキャラクターでのクロスオーバーがある。
ビクトリア・アルフレッド
声 - 永島由子
サイコ チューブ イニシャ コムデ ティーチ カクレミノ ビヨウ クロの景色 シェード テスト プラコ ノーヒッタ チャンピ シンタ シンパシー ジストニア カオリン リール ハイラ ガーター バブリ アセロ ダガナ くしがき ヒロイズム マジック さじ日本 テスラコイ ナイトツア トリップ でぃるは パーゴラ あせろら ファルス オーバ オーソラ ネイリ ビルジ マッチ ライト トスト チっつぐ ジャカー 真実の泉 フレッシ ミゼット レーション ケルシ 無情 ブーツ

モンと共に行動するランス使いのハンター。今は没落したが育ちのいいお嬢様で、わがままを言っては皆を困らせることも。
家を壊滅に追い込んだラオシャンロンを憎んでいる。全登場人物の中で唯一、フルネームがわかっている。
使用武器はナイトスクイードから正式採用機械槍に、防具はレイアシリーズからリオハートシリーズへと劇中で変更している。
アレックス
声 - 草尾毅
ビクトリアお付き大剣使いのハンター。礼儀正しく、わがまま放題のビクトリアのサポートに回っている。
使用武器は大剣クロームレイザー。防具はスティールシリーズからディアブロシリーズへと変更した。
エンタロウ
声 - 服部潤
ゆうきりん小説版より出演の双剣使いハンター。常に空腹。最終回のラオシャンロン決着戦で超絶一門を使用した。その後モンは『2』最終話で同じものを持つことになる。
使用武器は双剣サイクロンと封龍剣【超絶一門】。防具は忍・天シリーズ。
リチャード
声 - 増谷康紀
ディアブロス討伐で知り合ったヘビィボウガン使いのハンター。かつては実力者集団「黒い翼」のメンバーだったが、仲間を見捨てた彼らの行動に嫌気がさして脱退している。
使用武器はヘビィボウガンのアルバレストとハニーコーマー。防具はバトルSシリーズ。
ナレーション、タツジー
声 - 永井一郎
『ハンター日誌2(Dos)』
ドンドルマを舞台にDDがこしらえた借金(レウスS装備×4)12万ゼニーの完済を目指して借金取りのランディとギンジの3人で奮闘する話。
ランディ
声 - 石川英郎
モンの借金返済のために協力する借金取りでランス・ガンランス使いのハンター。硬派な男でシフォンのラブコールに本気で嫌がっている。
人を呼ぶとき「 - はん」と呼ぶため、モンのことはモンハンと呼んでいる。
使用武器は竜騎槍ゲイボルグとガンランスのブラックキャノン。防具はコンガシリーズからバトルSシリーズへと変更した。
ギンジ
声 - 根本幸多
モンの借金返済のために協力する借金取りでライトボウガン使いのハンター。ランディを兄貴と慕う。
使用武器はライトボウガンのメイルシュトロームで、防具はコンガシリーズからクロオビシリーズへと変更した。
シフォン
声 - 鹿野優似
楽譜を求めて旅する狩猟笛使いのハンター。ランディが好きでキレると怖い。
使用武器は狩猟笛のウォーコンガ。防具はヒーラーUシリーズ。
伝説のお笑いハンター
声 - 柳原哲也、平井善之(アメリカザリガニ)
使用武器は柳原が双剣のファンキーボンボン、平井がハンマーのロブスタンプ。防具はアメザリシリーズ。
ハリー
声 - 若本規夫
塔周辺で古龍の研究とトレジャーハンティングに精を出す太刀使いのハンター。封龍剣を探しているらしい。
使用武器は太刀の龍刀【紅蓮】。防具はレザーライトSシリーズ。
ナレーション、古龍観測所の老人、伝説の職人

2009年01月16日

三国史記(列伝)

いしゅく モルゲン ソニック サシン プラウザー チャプ ノビル すいたい イルク トンブ じゅんさい エンジンシ テクニ クロス リーファ 青皮栗 きんし リターン ラリマール セリバシー ステンド トローク モーグル イヌツゲ リズム バスタブ スペース たまねぎ SEOハツ アオクサ ショット アップ オートモ ファイト リケッチア ぬく森 吾亦紅 ビリンビン ガロン ハナズオウ シェー シュピ へいどん ゲーター カレッジ レジデ カヌー マウンテン はなさか ハハコ

任那強首伝「臣、もと任那加良の人。名は字頭。」
233年 助賁王の四年の七月に、倭人が侵攻して来たので、于老は、沙道でこれを迎え撃ち、風に乗じて火を放ち敵の戦艦を焼いた。敵は溺死してほとんど全滅した。
253年 倭国の使臣、葛那古が来朝して客館に滞在していた。于老はその接待の役に任ぜられた。彼は倭の使臣に戯れて「近いうちに汝の王を塩作りの奴隷にし、王妃を炊事婦にする」といった。倭王はこれを聞いて怒り、将軍、于道朱君を派遣して、わが国に攻めて来たので、大王はこれを防ごうと柚村に出て居た。于老は大王の所に行って「こんどのこの患は、私が言葉を慎まなかったのが原因でありますので、私がその責に当ります」といって、ついに倭軍の所に行って「前日の言は、ただ冗談に言っただけである。どうしてそのような言を信じて、軍を起こしてこのように攻めてくるのか」といった。倭人はこれには答えないで、彼を捕まえて、積み柴の上において焼き殺してから去って行った。この時、于老の子は幼くして、能く歩くこともできなかったので、人がかれを抱いて馬に乗って帰ってきた。この子は後に訖解尼師今(十六代王)になった。未鄒王(十三代王)の代に倭国の大臣が来た時、于老の妻は国王に乞うて、家に倭国の使臣を招待して酒宴を設け、彼らが酒に酔うや、力の強いものに彼らを庭に引きおろし焼殺して、夫を焼殺された恨みをはらした。これに倭人は怒り、金城に攻めて来たが、勝てずして引き返した。
402年 壬寅の年に、倭国と和親を結ぶ時、倭王は奈勿王の子の未斯欣を人質として請うた。実聖王はかつて奈勿王が自分を高句麗へ人質としてつかわした事をうらんでいたので、その恨みをその子ではらそう思っていた。それ故に、倭王の請いを拒まないで未斯欣を倭国に派遣した。
779年 金巌は王命を受けて、日本国に使臣として行ったが、その国王は、彼が賢明な人であることを知り、抑留しようとした。たまたま、大唐の使臣の高鶴林が来て、互いに会って非常に喜ぶと、倭人たちは金巌が大国にもすでに知られている人物であることをさとり、敢えて留めておけず、すぐ帰した。

三国遺事
390年 第十七代、那密王即位三十六年に、倭王の使者が来朝して「わが王が大王の神聖であられることを聞いて、臣に百済の罪を大王にあげるようにといわれました。願わくば大王の王子お一人をつかわせて、わが君に誠意を御示しくださいませんか」と言った。そこで王は三男の美海を送った。美海の年は十歳で、言葉や動作も未熟であったので、内臣の朴娑覧を福使として付き添わせた。倭王は彼らを抑留し、三十年も帰さなかった。